週5日労働の疲れを、誰が2日で癒せると考えたのか?

週5日労働の疲れを、誰が2日で癒せると考えたのか?

きっと、算数が全くできない奴だ。

 

 

文明は発展している。

でも、我々は、以前にも増して働き続けている。

何故か?

 

ZOZOTOWNを展開するスタート・トゥディ代表の前澤氏が1月31日に

twitterで下記のような内容を呟いた。

人間らしい働き方って、何時間労働くらいなんだろう。僕の理想は週3日×6時間労働くらいかな。

https://twitter.com/yousuck2020/status/297121878336749568

 

スタート・トゥディでは、今期より9-15時の連続6時間労働制を導入しているらしい。

昨年10-12月期には、前期比に比べ生産性も増加しているとのこと。

 

新しい労働スタイルとして、今後注目を浴びるだろうか?

では、前澤氏の言う週3日×6時間労働というのは、実現可能だろうか?

 

結論、自分は無理だと思う。

理由は、少なくとも小規模な自営業でなければ、利潤追求の資本主義競争に勝つために

走り続けなければいけないからだ。

 

簡潔にするため、週3日×6時間労働を個人のビジネスパーソンが可能か考えたい。

従来の、週5日×8時間(残業は考慮しない、現実的でないけど)と比較する。

 

週3日×6時間は、合計18時間。

週5日×8時間の40時間の半分未満だ。

 

同じ給料水準を保つには、下記の2つしか方法がない。

(1)生産性を高める

(2)高給の職場で働く

 

(1)生産性に関して

週の労働時間が18時間になって、現在と同じ給与水準を保つには

生産性を122%高めなければならない。

つまり、222%(現在比)のパフォーマンスを出す必要がある。

 

これは、個人の努力だけでは到底不可能。

会社の惰性mtgを無くしたり、PCスペックを上げてトリプルディスプレイにしたところで、10~20%程度の上昇が関の山ではないか?

 

加えて、飲食や運輸のようないわゆる肉体労働中心の職場だと、生産性向上はデスクワークよりも困難だ。

時間とマンパワーが、生産性を決める主要因だからだ。

 

ちなみに、これが月間の残業60時間(1日約3時間)の場合だと

305%(現在比)のパフォーマンスが求められる。

 

(2)高給の職場に関して

週3日×6時間(18時間労働)になり、減少した労働時間分の

給与が減っても、生活に支障が無い環境で働くのも1つの手段だ。

 

若者の一人暮らしと仮定して

週40時間労働で、額面25万円貰っているとしよう。

週18時間労働で、同じ25万円を貰うには、現在55万円ほどの給与の職場に身を置く必要がある。

年収で660万円だ。

この不景気、一人暮らし世代(20-30代)でそれだけの給与が見込める企業は

商社やマスコミ、勢いある高収益web企業くらいだろう。

 

家庭持ちで、額面40万円で同じ計算をすると、

月収88万円、年収1,065万円になる。

こちらも、非常に業種や職位が限られる。

 

 

勿論、上記の生産性と高給の職場に関する計算は、非常に単純で現実的でない。

 

そもそも、現在の生産性を短時間で達成できれば、さらに働け!と言われるのがオチだ。

日本国内だけでなく、世界には競合がひしめき合い、短時間労働なんて浮かれていると

多くの企業が競争に負けてしまい、国の経済成長が停滞or下落してしまうからだ。

 

利潤を求める競争に終わりは存在しない。

 

 

 

これは持論だが、文明が発展しても、仕事が少なくならないのは

消費者(=生活者)の需要がどんどん上昇している、

または、供給側が需要の拡大を可能だと思い込んでいる、

この2つが理由だと思う。

 

つまり、

こういうモノ・サービスがあれば便利なのに、、、という商品を提供すれば

購入され、儲かる。

新しく〜〜というサービスができました!すごいので、是非試してください!と

広告が煽れば、購入され、儲かる。

 

際限が無い、とはまさにこのこと。

しかし、その無限の欲望で人類は進化してきた。

その恩恵にあずかる我々の世代が過去を否定することはできない。

 

腹八分のように、欲望八分というような状態に

皆がなれば、どうだろうか?

 

やたらと欲しがる人が居なくなる。

必要最低限  +  楽しみのために「ちょっと」

くらいの欲望が社会を満たせば、労働時間は減るかもしれない。

それによって、自由な時間が増え、人々の会話が弾み、ストレスは減り

お金で取引できない豊かさが満ちあふれる可能性がある。

 

我々は、それを望んでいるのだろうか?

そうはいっても、欲しいモノはたくさんあって、たくさんやりたいこともある。

そのためには、お金が超大切(時間も)

 

誰もが、禅のような思想で生きていけるはずがない。

 

他人は、家族との団欒が楽しいと言っているが

自分は六本木で一晩中遊びたい!という人は無くならない。

 

 

 

自分の幸福の尺度は、モノ・サービスに依存している部分が少ないから

お金で取引できない幸せの割合を増やしたい、と考えている。

 

だが、そのための生活環境を整備することには、まだまだお金が必要だ。

 

キリがない話だ。

この辺でオワリ。