「いじること」と「バカにすること」は違う

4月も半ばを過ぎたというのに、まだ寒さの残る朝です。

どうも。

通りすがりの大統領、ジョン前田です。

 

いかにして笑いを取るか? という命題をツッコミ視点で考えると

誰かをいじらなければなりません。

 

芸人の方々の漫才やコントなどでは、

明確にボケ・ツッコミが別れていてます。

そこで、適切な掛け合いがあり、笑いを生み出します。

 

しかし、当然ですが漫才やコントのステージ上だけでなく

日常生活でも、笑いの場面は多々存在するわけです。

これは、当然芸人さんだけでなく、一般の方々においても同様です。

TVのバラエティ番組も然り。

 

しかし、私は懸念があります。

基本的に笑いを取るためには、ボケに対してツッコミが必要です。

(一発ギャグなどは、この話では除く)

ボケに対するツッコミの瞬間に、笑いは生まれます。

 

そのボケとツッコミの定義が変わってきている、

そう思えてなりません。

それは、誰か他人に対してつっこむ/いじる、そのような場面に

多々見られます。

 

具体的には、

「ボケに対してつっこんで/いじって、笑いをとる」

(正確には、ボケが発生して・ボケを生み出した状態でつっこむ/いじる)ことが

「単に誰かを馬鹿にして、笑いをとる」ことに変わった様に感じます。

 

個人的な笑いに関する哲学ですが、

笑いを生み出すために、悲しみを利用しない、ということを考えています。

 

他人を馬鹿にして笑いを取ることは、極力避けるべきだと考えています。

 

他人のミスや欠点、他にも外見などを嘲笑して、笑いをとるという流れが

マスコミ上では、非常に多いと感じます。

 

対象が芸人さんなら、それでお金貰っているので、構わないでしょうが

学校や職場などのコミュニケーション上でも、似たような状態は

多く存在しています。

 

そのような場面を見ても、いい気分で笑うことはできません。

ボケが発生していない状態で

ツッコミではなく単なる嘲笑で笑いを取ろうとする、この流れが非常に多い。

 

自分と対象人物がプロの芸人でないなら

いじるのは、他人が傷つかないやり方をすべきやと思います。

 

僕が、他人をいじる時によくするのは、「勝手に設定を変える」という手法です。

例えば、複数人で出身地の話をしているときに

埼玉出身とかの人に対して

「〜〜さんって、ジンバブエ出身でしたよね?」みたいなアプローチです。

(↑上記がウケるかどうかは、一旦考えずに)

 

そうすれば、ジンバブエ出身という勝手な設定が

ボケという存在になって、そのボケに対してツッコむことで

対象人物をバカにする構図を作らないようにします。

 

 

笑いのために、悲しみは生み出さない、と書きました。

バカにされたら、程度の差こそあれ、誰でも悲しくなります。

しかし、他人にとって何が悲しいか、なんてわかりません。

 

よって、自分は、特定の誰かをいじることはあまりせずに

最近の話題や、自分の失敗談なんかをボケにして

自分でツッコむことも多いです。

 

なんというか、バラエティ番組でも、日常の組織内における

コミュニケーションでも、他人をいじることと

バカにすることを一緒に考えている人が多いと日々感じてます。

笑いの発生は、等価交換ではありません。

笑いのために、悲しみが犠牲になる必要はありません。

 

お笑い論みたいな話になってしまいました。

より多くの人が、日々笑って暮らせるようになることを望みます。