レビューされる世界

学校の理科で習った、身体が切れたら分裂して再生する
プラナリアっていましたよね。

 

身体切って、労働用の自分を作って、遊ぶ用の自分(オリジナル)になりたい。
そんな事すると、分身も同じこと考えて、単なるグータラが
無限に製造されるだけだな、と感じました。

 

心はいつでもバケーション!
悲しみの無形文化財、ジョン前田です。


友達と飲みに行く時に店決めで食べログとか見ていますか。
レビューや点数もあって、参考になりますよね。

 

でも、毎回食べログを見て、店を決めるって楽しいんですかね。

 

確かに、ハズレを除外できるので効率的です。
でも、うまい店発掘した!なんて楽しみはありません。

 

店探しは、美味ければよくて
店で誰と時間を過ごすのか、が大事だと言われればそれまでですが。

 

人生の楽しみの1つは、偶然性だと思います。
何もかも、合理的に決められ、スケジューリングされると
偶然の産物は生まれにくいわけです。

 

たまたま、ふらっと入った路地裏の店が旨かった
なんてのは、案外楽しいものですし、友人にも伝えたくなります。


とはいえ、レビューにもメリットはあります。
相手と自分の間で、情報格差が激しい場合です。

 

例えば、就職時の企業に関する情報。
企業なんて、自社に都合のいいことしか表に出しません。

 

そのような場合に、元社員なんかが
実はブラックだ!なんていう情報をwebにアップしてくれるのは
いい参考情報になります。

 

今、レビュー対象は
基本的に、市場で価格の付いているものです。
ECの商品や、店舗ビジネスなど。

 

加えて、就職のような人と組織の関係なども
レビューされています。

 

人と社会の関係だと、
観光スポットや、行政サービスもレビュー対象となります。

 

今後は、どうなっていくんでしょうか。

 

個人と個人のプライベートな関係もネットの深いところで
レビューされるのでしょうか。

 

例えば恋人関係とか。
あの女はセックスはいいけど、金遣いが荒い!のように。

 

ビッグブラザーによる監視社会とは言わないでも
何でもが、評価対象になったとしたら、怖いですね。


何でもかんでも、自分で経験する前にレビューを見てしまうと
どうしても偏見ができてしまいます。

 

判断基準を自分の外部に依存すると
一人では何も決められない人間になってしまいます。
ツモ切りマシーンです。

 

レビューを見るのもほどほどにしたいですね。
何でもかんでも、知ったかぶりにならないように
気を付けないといけません。

 

 

つい先日、近所のラーメン屋のレビューを見て
評価が星1つで、まずいのかなって思ったのですが
いや自分で経験しないと何もわからない!と思って食べました。

 

まー、全然うまくなかったですね。