肉体感覚

梅雨に入った。

7月の上旬頃に梅雨はあけるが、
自分のひもじい暮らしはいつになったら終わるのだろうか。

 

お酒は20代で卒業ですかね。

孤高のデジタル宗教家、ジョン前田です。

 

先週末、とあるスポーツブランドのイベントで渋谷区を全力疾走したんですけど、めちゃめちゃきつかった。

 

ジョギングの終わりにダッシュをするんだけど、それと同等以上の速さで、数分間走り回った。

信号などで立ち止まることはあったものの、あんなに全力で何年ぶりだろうという感覚。

ゼェゼェとしか呼吸できず、自分の心肺能力の低さに改めて気づいた。

同じイベントに参加していた人は、ウルトラマラソン出場者や、月200km走るようなレベルがいて、もうガチ過ぎて次元が違った。

 

あの全力で走ったあとの、まともに呼吸できない状態は確かにキツイのだが、自分が肉体を持った1つの獣であることを感じる。

 

私は、テクノロジーに囲まれた現代人の肉体感覚は非常に衰えていると思っている。

 

肉体感覚が衰えると、危機管理ができない。

駅のホームの端をスマホを見ながら歩いたり、音楽を聴きながらスマホをいじりつつ自転車に乗る輩もそうだろう。

横断歩道をはみ出して、車道で信号が変わるのを待つ人も多い。

 

考えもしないのだろうが、自分は大丈夫という過信があるのだと思う。

自然は危険に満ちている。

文明化されたといえ、都市も同様である。

怯える必要はないが、周囲の危険を気を配れるよう肉体の感覚を研ぎ澄まさないといけない。

 

また、肉体感覚が無いことは、全能感にもつながる。

インターネットとPCがあれば何でもできると勘違いしているように見える人間が多い。

ネットで何しているかは知らないが、ネットもソフトウェアもWEBサービスもバックグラウンドに過ぎない。

リアルこそメインである。

そこで何をするかだ。

 

肉体感覚を取り戻すには、トレーニングがいい。

走るのも、ウェイトでもいいだろう。

 

先に述べたように、世にはトムソンガゼルかと思うくらい走っている人間たちがいる。

ゴールドジムに行けば、信じられない重量のウェイトを挙げている。

 

そんな光景を間近で見ると、今のトレーニングでヒィヒィ言ってる自分はまだまだだと感じる。

そんなトレーニングで流した汗は、身体の成長だけでなく、自分が生きていることを強く感じさせてくれる。

 

楽器を演奏したりするのもいいだろう。

DJがCDプレーヤーかどうかは置いておいて、PCに任せれば子供でも様々な楽曲を作成し、再生できる。

しかし、それを自分で演奏するとなると1つのパートを習得するのにどれだけの時間がかかるだろうか。

 

 

機械というのは端的には効率化の道具だ。

しかし、効率的でないところに人間らしさ、いわば肉体感覚が残っていると思う。

 

最先端のテクノロジーを全て避けるのではなく、取捨選択して取り入れ、同時に自分の肉体感覚も研ぎ澄ましていくハイブリッドな感覚が必要だ。